映画見てきたよ

無事にセールの始末も発注も時間内に終了して、
「今日行かないと多分もう映画館で見ない!」
と思っちゃったもんだから行ってきました。
話題沸騰中(?)の
ダ・ヴィンチ・コード」ですよ。
こないだ原作読んだばっかだし、
映画はレイトショーでしか見ない(値段の問題)し、
今日を逃すとまた来週になっちゃうし・・・・・・
そんなわけで久々に映画館行きました。
以降ネタバレ注意。











えー、うちは家族そろってクリスチャンです。
カトリックです。かなり「懐が広い」けどw。
なので、こういうのも何ですが、知識は多少あるわけです。
なので、それなりに「あーなるほどね」ってのがあるわけですよ。
えっと。
劇場にいた若いねーちゃん、意味わかったかい?w
キリスト教がいかに男性上位社会を作ってきたか知ってるかい?
あの映画でいう「聖杯」がどんだけ重要な意味があるかわかるかい?
第一、原作読んでないとわかんねーって。
色々はしょってはしょって、どうしても切れないとこだけ
集めて繋いで2時間半ですよ?
自分は、自分の少ないながらの知識と原作とで
色々と補完しながら見てたけど、
あれって映画だけ見たらわけわかんねーと思うぞ?
ソフィーの件は演出しすぎだし、兄ちゃんいねーし。可哀相に。
要石だって二重じゃないし。「ソフィー」の意味半減。
イアン・マッケランは良かったけどw 個人的趣味。
いや、面白かったよ? 二時間半短かったよ?
でも、結論としては、
「原作読んでから見ろ」。
そうじゃないとほんとにわけわからんと思いまつ。
・・・・・・あんまネタバレもしてねえやw
ただ、あれで下手にまた宗教が誤解されないことを祈る。




以下、時折憂えること。読み流し大いに結構。
日本ていう国は面白い国で、「宗教」がない。
お寺さんにお墓があっても、自分の家が何宗かしらなかったりする。
神道はなんか別物扱いだし。尤もあれは世界宗教じゃないしね。
だから日本人て、「信仰」がないんだと思う。
だから新興宗教が流行るんだと思う。
「ダ・ヴィンチ・コード」で出てくる一個の宗派に、
苦行をする、自分を痛めることで信仰の証とするのがある。
それはそれで認めよう。それでその人の救いになるならば。
ただ、それは全部じゃない。そういう人もいる、ってだけだ。
それが「信仰の証」ならば、他人がとやかく言うことじゃない。
「信仰」っていうのは個人個人のものだと思う。
うちの家族はみんな洗礼受けてるけど、
「信仰」の形はみんな違う。当たり前の話。
私は教会には行かない。行きたいとも思わない。ミサに出たいと思わない。
両親はけっこう真面目にミサにも行くし、活動もそれなりにしてる。
でも、父と母とで当然形は違う。
そういうもんだと思う。「信仰」=「思うこと」「信じること」なら、
それは一人ひとり違って当たり前だと思ってる。
だから、信者だってだけで色眼鏡で見るのは止めて欲しい。
正直それは、信仰だけの話じゃなくてそう思う。
新興宗教に救いも求める人の気持ちをわかろうともしないで
「あんなんにはまって」っていうのは間違ってるんじゃないか?
その人の闇を知らないで犯罪者を一方的に糾弾するのもおかしくないか?
世の中、そんなに「悪者」を作りたがってるのか?
目に見えるものだけ、マスコミから入る情報だけ、
そういったものだけで色眼鏡をかけないで欲しい。
・・・・・・・・・・・なんか初めて真面目に書いたな。
恥かしいのでそのうち消しちゃうかもw